藤間秋男の老舗企業訪問

第12回

株式会社 龍名館 明治32年(1899年)創業123年

代表取締役社長 5代目

浜田敏男(はまだとしお)

明日へつなぐおもてなし

龍名館ホームページ ▶

創業123年の老舗旅館の龍名館は今では旅館としての面影はないか精神は旅館であると現社長は言い切る。
旅館というと響きは古いが現代的なハードウェアと昔ながらのおもてなし精神の旅館というDNAを持ったホテルである。
※掲載情報は取材日時点のものです(2022年10月)

歴史

龍名館の歴史は1899年明治38年に浜田社長の曽祖父の濱田卯平衛が東京市神田区南甲賀町に創業致したことに始まる。
元々秩父名倉村の百姓をしていた濱田平兵衛が東京に出てきて日本橋に名倉屋旅館を開いた。

濱田卯平衛はこの名倉屋の次男で糸問屋をしていたが、どうしても旅館がやりたいと現在の地に名倉屋旅館の分店として、旅館を開業した。

創業時の門扉

小川町分店建築風景

戦後から続いた木造時代の外観​

歴史における危機は関東大震災と太平洋戦争

いずれの時代にも旅館すべてが焼け、再興には時間がかかった。関東大震災の時は当時の常連のお客様である山形県酒田の本間様からお金を借り復興する事ができた。
常にお客様に助けられてきた歴史が龍名館の「おもてなしの心」を育んだ。

家訓や社訓

家訓は「本業以外のことはするな」だそうだが、これは自動車輸入業に手を出して騙されて一部の事業から撤退した経験から、こういう言葉が生まれたそうだ。

その後の当主からは「人の和」というものが社訓として示されている。

「人の和」は聖徳太子の憲法17条「和を以て貴しとなす」から引用したものだという。

看板に頭を下げる

戦後、お客様がすごく些細なことで腹をたて、主人を呼ばなければ許さないと激しく怒りだしたことがあった。

理由は甚だ些細なことだったので、浜田社長の母は「こんなことで謝りになんか絶対に行かない」と言ったのだが、当時の女中頭に「謝ってきなさい、あなたはお客様に頭を下げる訳ではありません、龍名館の看板に頭を下げるのです」と厳しく言われ考えを変えた。

看板に頭を下げるということで、「自分の事だけではなく、みんなの龍名館なのだ」という気持ちが湧いてきて、不思議と抵抗なくお客様のところへ行き和解ができたそうだ。

プロフィール

昭和29年1954年東京都千代田区神田駿河台、現在の本店で生まれた。

番町小学校から慶応義塾中等部を経て高校大学を卒業、旧太陽神戸銀行へ入行後昭和61年に龍名館に入社し、平成17年に代表取締役社長に就任現在に至っている。

社長就任時から先々代、先代から引き継いだ龍名館のDNAの斬新さの探求、西洋料理の提供、戦後から今に至る龍名館の挑戦というものを引き継いでいくという。

商品

日本酒入りのケーキ、そして榮太樓と提携した榮太樓飴は昔の龍名館のお客様の荷札を模した絵にしている。

また、スィートルームやジュニアスィートに泊まったお客様には浴衣を出していて好評につき販売もしている。

事業承継

浜田社長の兄が代表取締役会長でその息子が専務として働いているが、浜田社長の息子も当直でフロントで働き浜田家が皆で龍名館を支えている。
そして準備をしっかりして対策を考えて将来受け継ぐ、孫たちに負の遺産を残さないように考えているそうだ。

藤間秋男のひとこと

怠けない、看板を大事にして「看板に頭を下げる」というこの言葉は素晴らしいですね。
老舗というのはそういう意味では歴史があり次の代に伝えていきながら、それを実践することに老舗の良さがあるのかなぁと思います。

インタビュー動画

チャンネル登録はこちら

日本語版

英語版

前の記事

株式会社日比谷松本楼