藤間秋男の老舗企業訪問

第10回

株式会社 太田胃散 明治12年(1879年) 創業143年

代表取締役社長 6代目 39歳太田淳之(おおた あつゆき)

「奉仕の精神を以て良品を世に送る」

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奉仕の精神を以て良品を世に送る
創業期からの家訓・社是だがもともと創業者が役人だったので国に仕え、今は商人になり人の為に仕える奉仕の精神。
そして本業以外では儲けないが家訓という。※掲載情報は取材日時点のものです(2022年7月)


「太田胃散 いい薬です」太田胃散は明治12年(1879年)創業で143年目となる。

歴史

創業者の太田信義は幕末から役人(武士)をしていたが西郷隆盛と知古があり、上野の山に籠った彰義隊の情報を西郷隆盛から知らせてほしいと言われている。

明治維新後も役人として四日市の港湾事業の責任者としても力を発揮していたが西南戦争で西郷隆盛が亡くなったことにより人生のはかなさを思い、今後の人生を商人としての道を歩む決意をする。

もともと胃弱であったが良薬と出会う

創業

元来胃弱であった初代信義が、大阪出張中に緒方洪庵の娘婿、緒方拙斎の診察を受けオランダの名医ボードウィン博士が処方した薬を服用し快癒。
このように効くのであれば同じような人に届けたら世のため人のためになると思いこの薬の販売を緒方拙斎に頼み込みこれを許され「雪湖堂胃散」として販売したことが始まりである。



疑似品や関東大震災、戦争そして東日本大震災でも被害を受ける





苦難

疑似品の胃腸薬が出て対策に困ったそうだ。それだけ効く薬だったのだろう。

効かない薬を売られては消費者が困るので取り締まりには苦労したそうだ。
戦時中には原料を国が一斉統括する医薬品配給統括規則となった。
国が会社を作り一旦まとめてそこから配給するという制度になり自社での原料調達ができず思うように原料の調達もできず製造もできず苦労した。

猫のキャラクターの太田胃散ならぬ太田胃にゃん

太田胃にゃん

この業界は一度そのメーカーの胃薬を飲んでいるとそのまま続いていくという。
そのため太田胃散になじんでもらうために太田胃にゃんという三毛猫のキャラクターを作り、小さい時から親しんでもらうことにも力を入れている。
また、テレビCMも活発に流している。

ブランディングに力を入れる

ブランディング

いままでの、「アイデンティティである缶の太田胃散」とか「ありがとう良い薬です」というプレリュードは、凄く強く商品ごとの特性を覚えていただけないような戦略だった。
他の商品にもプレリュードを使い商品の特徴を際立つように変えていこうと副社長の時から進めている。

社長就任前から代表取締役副社長として業務を任される

社長就任

社長就任は2021年の10月とまだ新社長だが先代が存命中から代表取締役副社長としてある程度人事も含めて任されていたのでスムーズに今に至っている。
まだ39歳と若くこれからも新しい商品や改革を進めていくようだ。

日本で一番売れている胃薬

製品

缶入りの太田胃散総合胃腸薬は生薬(自然)の良さを生かした長年愛用されている総合胃腸薬で太田胃散のイメージはその缶に代表されていて胃腸薬として確固たる地位を築いている。
今では症状によりの胃薬を分けているが太田社長が一番力を入れている商品がストレスや心配事で胃が痛い神経性胃炎そのための漢方胃腸薬でこのコロナ渦によって今、非常に伸びている。
ストレスからくる胃腸薬ということで裏面に飲みすぎ食べ過ぎの胃腸薬ではありませんと書いてあるそうだ。

襲名はしていないが襲名には魅力もある

襲名

太田社長は6代目であるが襲名はしていないそうだ。先代、先々代、もそうであり、いつの間にか襲名はなくなった。襲名するには(戸籍の変更など)多くの手続きが必要であり面倒であるが社長自身は今後のことも考えて襲名も考えてもいいともいう。

お客様の為に会社を残していくこと永続させていくこと

事業承継

父からも祖父からも仕事を継げということは1回も言われたことがなかったそうだ。
そういう意味では絶対的に次が子供たちでなければいけないという考えでもない。
お客様に対しての貢献や社会還元をする。そのために会社を残し永続させる。

藤間秋男のひとこと

創業者が自分が使ってる薬が良いから、これを売ってみようとそれが太田胃散の元になっているこれが素晴らしいなと思います。
襲名はぜひ襲名して頂きたいし、世界の胃腸薬になるというそのくらいデカい夢を持ってやっていただけたらいいかなと思います。そうすると社員が元気になります。

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