藤間秋男の老舗企業訪問

第11回

株式会社 日比谷松本楼 明治36年(1903年)創業119年

代表取締役社長 4代目小坂文乃(こさかあやの)

森のレストラン
お迎えする心とお見送りする心

日比谷松本楼ホームページ ▶

日比谷松本楼は日比谷公園の真ん中にあり、樹齢500年の銀杏の木など緑に囲まれた唯一無二の歴史を持っている「緑と歴史とそして食事が楽しめる森のレストラン」 ※掲載情報は取材日時点のものです(2022年10月)

日比谷公園の歴史とともに歩んできた日比谷松本楼
歴史

明治維新まもなく、西洋文明に追いつく気概の政府は鹿鳴館のすぐ前に西洋式公園を造成することになった。
そしてその真ん中に西洋式レストランを加えることになり日比谷松本楼は日比谷公園開園とともに開業。
明治36年(1903)のときであり、創業119年になる。

創業者の小坂駒吉は銀座で料理屋松本を営みながら貴族院議員としても活躍していて、西洋式公園のレストランの権利を得て、日比谷松本楼はオープンした。

関東大震災、戦争、沖縄返還デモそしてコロナ
歴史の荒波

数々の荒波の中で関東大震災では建物が崩壊し、バラックから復活を目指して2回目となる建物を建てた。

大東亜戦争では日本の海軍省の宿舎になり、敗戦後はGHQの宿舎になる。
家族は自宅が焼かれてしまったので祖父はGHQに頼み込んでなんとか屋根裏に住まわせてもらうことができたそうだ。

しかし、7年間営業ができなかったのでかなりの貧乏生活だったという。

1971年の沖縄返還デモでは日比谷公園に学生たちが集まり銀座を火炎瓶などで襲う計画を阻止するために機動隊は日比谷公園を封鎖した。

そのため学生たちは公園を出ることができず持っていた火炎瓶を松本楼に次々に投げつけ松本楼は焼失してしまう。

事件後、保険の対象にはならずに再建が危ぶまれた。ところが、新聞等で日比谷松本楼消失のことが取り上げられ、全国からの励ましで銀行も動いてくれるようになり、何とか3回目となる建物を建てることができた。

最近の東日本大震災やコロナの時もかなりのダメージも受けたが病院に出店していたために助けられたそうだ。

革命家孫文と梅屋庄吉

およそ100年前、小坂現社長の母方の曽祖父である梅屋庄吉は、中国の革命家の孫文を物心両面で支援し続けていた。

福田康夫政権下の2008年、胡錦涛国家主席が来日時、松本楼が食事会の会場となった。

その席上「強い友情でつながり助け合った」という歴史を、両国民に知らせることとなり、松本楼で胡錦涛国家主席と福田康夫元首相の二人が100年前の孫文と梅屋庄吉の歴史の資料を見ながら食事をした。

そして今では中国と日本の架け橋の松本楼になっている。

「お迎えする心」と「お見送りする心」

家訓

先々代の2代目からは「心が無ければ何をやっても始まらない」
そして3代目である父から小坂社長が繋いだ言葉は「お迎えする心」「お見送りする心」だという。

次女として生まれ継ぐ意思はなかった

プロフィール

小学6年の時に英国のボーディングスクールに入り高校まで英国で過ごす。
大学は日本の立教大学の観光学科へ入りそして卒業。次女であったために継ぐ意思はなかったが、突然に姉が結婚して海外に行くことになり、白羽の矢が向けられた。
海外行きを断念して松本楼に入り2017年に社長就任となった。

3階建ての瀟洒な森のレストラン

レストラン

1階は樹齢500年に銀杏の下のテラス席が評判の洋食レストラン、カレーライスーやオムライスもある。
2階が披露宴やパーティー会場
3階はボワ・ド・ブローニュと言うフランス料理の店でパリ郊外のブローニュの森のイメージで名前を付けている。

チャリティの10円カレー


いまの建物が、お客様の励ましで再建できたことを感謝してはじめたのが「10円カレー」。
これはチャリティーで、レストランの入口で10円以上の寄付をしていただいている。この寄付金はすべて寄付をしているとのこと。

レトルトカレー

小坂社長が就任後に始めたのがレトルトのカレーであり、当時はまだどこもほとんど製品化していなかったため松本楼のカレーは評判となりかなりの数を販売していたがいまやどこでも製品化している状態になってしまった。

キッチンカー


コロナで大勢のお客様が集まれなくなり苦戦した。

助成金では到底足りなくそのお金でキッチンカーを購入してスタッフが働く場所を作ったりして何とか凌いできた。

継ぎなさい、やりなさいとは一言も言っていない

事業承継

小坂社長自身は松本楼と関係ないところで育ったので、ご子息には愛着がないのも困ると思い、日比谷公園の近くの幼稚園、小学校に入れ学校が終わったら松本楼に帰ってくるようにしたそうだ。

そのためご子息自身も松本楼は第2の自分の家みたいな感覚があるようだ。
そして継ぎなさい、やりなさいとは一言も言わずに来ているそうだ。

藤間秋男のひとこと

火事で何回も焼け、本当に飛び火みたいで怒っても怒る相手がいないというとんでもない状況があったり、今もコロナで海外からの方がいないという苦労の中で非常に前向きに捉えられてキッチンカーを買ったのは本当に素晴らしいおそらく後ろ向きの費用に充てる人がほとんどだと思うが、しかしキッチンカーを買った。

これはやはり小坂社長の素晴らしさですよ

今、経団連の中で上場会社の中で女性の役員のパーセンテージを上げるという会が出来てる。
アメリカは上場会社の役員の中に女性がいるところとそうではないところを調べると5割は利益が違うと言っている。
小坂社長にも更なる研鑽を積んで素晴らしい松本楼を作って頂きたいと思います。

ありがとうございました。

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