藤間秋男の老舗企業訪問

第7回 株式会社伊場仙

代表取締役社長 14代目吉田 誠男

貫 日 精 誠 震 天 下
かんじつせいせいしんてんか

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1590年(天正18年)創業431年

徳川家康とともに江戸にきた伊場仙は、沼地だった江戸の開拓に携わり、開拓後も江戸に残り紙や竹を全国から仕入れて江戸市中に販売していた。そして団扇や扇子へと業態変更をして着実に事業を伸ばしてきた。

また、その木版印刷の技術を活かして浮世絵の版元として歌川豊国や国芳など浮世絵の版元としてもで名を馳せた。

紙や竹から団扇・扇子そしてその印刷技術を活かして浮世絵まで、時代の流れに沿うように現在まで続いている伊場仙である。

※掲載情報は取材日時点のものです(2022年4月)
貫 日 精 誠 震 天 下 かんじつせいせいしんてんか

常日頃誠実に生き続ければ、やがて天下を震わす偉業を達成することが出来る。
これが14代吉田社長の伊場仙としてのテーマとなっている。吉田社長らしい考えである。

ちなみに吉田社長には誠実の誠が名前にも入っている。

団扇・扇子

 

団扇は朝鮮半島から日本に入ってきた。古く飛鳥時代の古墳の壁画にも見られるように、大きく仰ぐものを持っている。しかし、重くて小柄な日本人には合わないため小さくなっていった。
特に江戸の「団扇」は実用性が重視された。庶民が持つため安価な竹を用いて江戸っ子らしく洒落のきいた粋さで、判じ物などの団扇や浮世絵の団扇も登場して大繁盛した。

扇子は木を薄くしてスライスして作られた日本の発明品である。 
木扇(きおうぎ)と呼ばれる扇子が日本で生まれた最初の扇であり蝙蝠が羽を広げた形に似ているので蝙蝠(かわほり)とも呼ばれていた。

浮世絵の版元

伊場仙は団扇や扇子で木版印刷する技術を活かして、浮世絵の版元になっていて、当時、名声を博していた歌川豊国や異才で知られる国芳などの版を摺っている。
海外の著名な美術館には伊場仙版の浮世絵が残っている。

歴史に学ぶ

江戸初期から430年の歴史となると様々な苦難に見舞われている。
安政の大火では後継ぎが亡くなったり、明治維新では写真が出てきたり、関東大震災にあっては店が焼失する経験もしてきている。

先代たちはそのたびに復活を遂げてきているが、店が焼けても営業ができるように他の場所(仮店舗用として)を最初から確保していた。

吉田社長プロフィール

吉田社長は次男であり大学を出てサラリーマン生活をしてそのまま終わるつもでいたが長男が先代との折り合いが悪く、また商売にも合わないため急遽、吉田社長が継ぐことになったそうだ。

事業承継 不都合な真実

430年も続くと後継ぎには養子が入ることが多いが伊場仙も後継ぎがなくなったり、遊び呆けるものがいたりと跡を継ぐのに不都合な後継ぎも多く出る。
吉田社長の祖父(先々代)も養子である。後継ぎがいたにもかかわらず継がせなかった。


継がせたら伊場仙がなくなると思えば躊躇なく優秀な人材を確保してきたことで伊場仙が430年続いてきたともいえる。
吉田社長も先代から“血よりものれんを選べ”と言われている。


幸いご子息は跡を継ぐ予定で吉田社長は2年後に譲るつもりで着々と準備している。

藤間秋男のひとこと

伊場仙は世の中のニーズに合った形に変わっていったというところも凄いかなと思いますよね。
ずっと同じ事業だけでやれないということを私はすごく感じました。

承継についても自身の子息では継げないなと思ったら養子をどこかから引っ張ってくる。
それが凄いなと私は思っています。

色んなアイデアをこれからもっと作って生き残りをかけていただきたいなと思います。

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